2003年1月に公刊した『インフォアーツ論——ネットワーク的知性とは何か』(新書y、洋泉社)の全文を公開します。現在この本は品切れ中で、入手困難になっています。ブログが日本に登場する以前の著作ですが、インターネットや情報倫理についての基本的な考え方を提示したものですので、何かのお役に立てるかもしれません。出版社の許可が取れましたので、手元のデータを公開します。
¶帯コピー案(メモ)
インフォテック(IT)かインフォアーツか
混迷する情報教育の理念を問い
着地のオプションを構想する情報倫理の最前線
¶サブタイトル代案(メモ)
着地点としてのネットワーカー的情報資質
ネットワーク的知性への招待
¶自著における位置づけ(メモ)
このインフォアーツ論は総論として構図と基礎理論を提示する。錯綜した現実状況をほどいて、骨太な中核理念(転回軸)を提示する。
序 現実(悪循環的)——サイバースペースをほどく
破 転回軸・対抗原理——インフォアーツの思想
急 構想(自己成就的)——インフォアーツの構築する新しいコンテクスト(着地)
¶引用文掲示
「コンピュータが用いられているときにはいつでも(この効果を相殺しようとする注意深い努力がなされないかぎり)教え込まれている潜在意識的な教訓は精神のデータ処理モデルである。」(セオドア・ローザック『コンピュータの神話学』成定薫・荒井克弘訳、朝日新聞社、一九八九年)
*目次
引用文掲示
はじめに
- ネットを語る資格
- 社会学サイト「ソキウス」の経験
- 法政大学大原社会問題研究所公式サイト OISR.ORG の経験
- オンライン書店「ビーケーワン」の経験
- 研究活動のネット化
- 情報教育の経験
- オプションを思考する
キーコンセプト
- リベラルアーツ
- インフォテック
- インフォアーツ
第一章 大公開時代——自我とネットと市民主義
一 大公開時代を回顧する
大公開時代の始まり
公開の市民文化(市民的公共圏)
ネットが市民を育てる
二 自己言及の快感とシティズンシップのレッスン
個人サイトの社会学的意義
自己言及の快感
論争の泥沼状態による市民化
ネットにおける大人のなり方
三 市民主義文化の源泉
ネット先住民文化
ガバナンス原理
インターネットの歴史とネット先住民文化
RFCとW3C
オープンソースとハッカー倫理
自我とネットと市民主義
第二章 メビウスの裏目——彩なすネットの言説世界
一 〈インターネットの導入=市民主義的転回〉構図の崩壊
ネット先住民文化の孤島化
ガバナンス原理の裏目
共有地の悲劇、あるいは銭湯的民主主義の社会的ジレンマ
極端な並列性
メディア論に立ち還る
二 即興演奏されるニュース
可視性に優れた流言
問題解決のコミュニケーション
なぜ極論に流れるのか
三 マス・メディア化したネットの影響力
オーディエンスの多さがネットをマス・メディア化する
沈黙のらせん
ネット世論はなぜ偏向するのか
議題設定機能
第三者効果
賢明な市民ゆえに落ちる陥穽
四 民衆ジャーナリズムとしてのネット言説
調査報道、内部告発、ちくり
メディア・ホークス
彩なすネットの言説世界
第三章 情報教育をほどく——インフォテックの包囲網
一 高校情報科という節目
再生産モード
情報教育は理科教育か?
情報処理教育への収束
ないないづくしの情報教育
情報教職課程の問題点
二 インフォテックの政治と経済と教育
だれが「情報」の専門家なのか
インフォテックの政治
インフォテックの経済
インフォテックの教育
情報教育という名の植民地化
巻き返しとしての情報工学的転回
セキュリティと情報教育
三 すれちがう情報教育と台無し世代
情報教育の矮小化
台無し世代の学生文化
情報科目の外で
学生文化と技術的管理の悪循環
問題としての情報教育、転機としての情報教育
第四章 ネットワーカー的知性としてのインフォアーツ
一 対抗原理としてのインフォアーツ
ネットにおいて凡庸なこと
リベラルアーツからインフォアーツへ
インフォアーツは対抗原理である
二 さまざまなインフォアーツ
メディア・リテラシー
情報調査能力
コミュニケーション能力
シティズンシップ
情報システム駆使能力
三 メディア・リテラシーの先へ
精神のデータ処理モデル
メディア・リテラシーの考え方
情報システムを疑うこと
四 ネットワーク時代の人間的条件
現実の構成要素としての理想状態
知識と人間の三つの関係
民主主義の前提
眼識ある市民とインフォアーツと情報倫理
第五章 着地の戦略——苗床集団における情報主体の構築
一 状況に埋め込まれた学習
情報主体の構築問題へ
正統的周辺参加
インターネット・コミュニティ
二 苗床としての中間集団
苗床集団での育成
情報教育という場所
ネットの着地
拡張された情報教育
苗床集団としての生協運動
三 着地の思想
出会うこと
「リアル対ヴァーチャル」二元論をやめよう
第六章 つながる分散的知性——ラッダイト主義を超えて
一 共有地としての情報環境
インターネットは共通のメタ言語
それでもネットは社会化する
インフォアーツ支援情報環境の三つの核
「私有地の平安」としての情報の囲い込み
ナヴィゲート構造の対抗的構築
二 専門家の役割
なぜ専門家はネットに出てこないのか
インターネットは図書館ではない
出版物とネットをシンクロさせる
議題設定と科学ジャーナリズム
研究組織の支援
三 眼識ある市民の役割
社会問題の構築
眼識ある市民の役割
苗床集団の力
語られる社会と文脈編集力
四 セクター組織の役割
組織による公共サービスの役割
セクターとしての役割
分散的知性をつなぐ
あとがき