*第一章 大公開時代——自我とネットと市民主義
¶一 大公開時代を回顧する
■大公開時代の始まり
インターネットに関しては、この七年をとっただけでも、じつにさまざまなことが生じている。七年、しかし機械的にドッグイヤー換算すると、ネット上では半世紀にあたるわけで、それなりにいろいろなことがあった。本章では、細かな枝葉をあえてはぶいて、それらの通奏低音をなすと思われる、ひとつの骨太なストーリーを描いてみたい。
日本語圏においては一九九五年からネットの大公開時代が本格化する。九〇年代前半にはすでにパソコン通信を中心に「ネットワーカー文化」とも呼ぶべき文化がそれなりの成熟を見せていた。そして一九九五年、かんたんに日本語表示できるブラウザが発売され、立ち上がったばかりの専門プロバイダーや一部の大手パソコン通信会社によって一般市民のインターネット利用が格段に容易になった。この年の秋には日本版のWindows95も発売され、技術的な敷居も低くなった。これで一気にインターネットが拡大普及過程に入り、それとともにネットワーカー文化も一大勢力に発展するかに見えた。
じっさい一九九六年いっぱいまでは、パソコン通信においてもインターネットにおいても、一般のネットワーカーたちによってネットでのふるまい方についての規律がかなり周知されていたように思う。いわゆるインターネット入門書も、ネットの歴史や作法や独特の文化について理解することから始めるのが常だった。じっさいネットに参加すると、ニューカマーは口やかましい先輩たちに細かく指導され、それに適応することが(ネット以外の俗世間に対する優越感とともに)受容されるような文化があった。
それゆえ、所属組織から自由に討議し問題解決に向かおうとする自律的個人(つまり市民)の苗床としてネットが機能し始めているかに思われた。言うまでもなくインターネット礼賛のひとつのパターンがこれであって、私自身も、個人がネットワーク・コミュニケーションによって市民的に社会化されるプロセスに大きな可能性を見て、ネットに参加することに大きな意義を感じたものである。私の場合、この「興奮」は、『インターネット市民スタイル【知的作法編】』(論創社、一九九七年)という形になった。
■公開の市民文化(市民的公共圏)
当初は、ものごとを公開して情報共有すること自体に大きな意味があった。連絡、打ち合わせ、会議、討論、論文、ニュース、自己紹介、日記、クレーム・・・。
とくに、秘されてきたものをあからさまにし、有料だったものを無料にし、閉鎖的だったものを開放し、プライベートなものをパブリックにすること自体に文化的革新があった。それによって、公的組織に対して私的集団の声が、正統派より異端や周縁の声が、組織より個人の声が、専門家よりディレッタントや素人の声が、それぞれ相対的に増幅されて、従来の日本社会では「絵に描いた餅」と思われてきた市民的公共圏がいよいよ現実のものになったかのようだった。
「市民的公共圏」というのは、個人がさまざまな主題について対等に討議できる民主的な言説空間のことである。マス・メディアなどによって操作されてきた公共圏に対して、ネットが原初的な市民的公共圏を実現する可能性をもつのではないかと期待されたのだ。じっさい市民運動がネットによって広範な実績を積み上げることが低コスト低リスクで可能になった。市民運動にとって資源のひとつとしてネットは有力なアイテムとなった(栗原幸夫・小倉利丸編『市民運動のためのインターネット』社会評論社、一九九六年)。
要するに、ふつうの人びとが対等に言いたいことを言える空間ができたのは民主主義の原則から見てじつに好ましいということだ。ここには、少なくともひとつの「新しい社会空間」が出現したのだとの認識がある(清原慶子氏の一連の研究および干川剛史『公共圏の社会学』法律文化社、二〇〇一年)。
■ネットが市民を育てる
ネット文化の有力な柱は、あきらかに市民主義の文化にあった。もちろんこの場合の「市民」ということばがもつ厳しい側面は、すぐにあきらかになるのであるが、少なくともネット上には、余計な制度的呪縛や属性から自由で対等な個人(「市民」)が、じつにさまざまなテーマを核にして集合し、さかんに「おしゃべり」をしていたのだった。そして、そのような人たちは、ネットでのふるまい方を、現実の組織や集団ではなく、ネットの中で学んできたのだった。いわゆる「ネティズン」は、そういう人たちである。つまり、ネットにおいて「市民」的ふるまいをする人たちを、ネットという環境が育てるという、一種の好循環が作動していたということだ。
私はこの好循環を「ネットにおける自己言及の快感がシティズンシップの可能性をひらいた」と理解している。シティズンシップとは「市民であること」「市民精神をもつこと」である。それが大公開時代を支えた理念的モデルだったのではないか。
キーワードは「自己言及」(self reference)である。ごくごくかんたんに言えば、自己言及とは自分自身について語ってしまうこと。意識されていることもあれば、そうでないこともある。たとえば、別のことを語っているのだけれども、結果として自分自身がどのような人なのかを語ってしまっているというような事態である。
現実にインタラクティブなコミュニケーションがおこなわれているネットの世界では、さまざまな形で自己言及性が高まりやすい。この観点からネットでおなじみの現象を見てみよう。
¶二 自己言及の快感とシティズンシップのレッスン
■個人サイトの社会学的意義
大公開時代を象徴する代表的な現象は、なんと言っても無数の個人サイトの林立である。メディア史的に見ても、無名の人たちがこれだけ大量のコンテンツを特定のメディアを使用していっせいに公開するというのは前代未聞のことである。だから私は「大公開時代」として素直にメディア史に位置づけるべきだと思う。
しかし、テーマもフォーカスも水準も規模も多様な個人サイトの林立現象を高く評価しない人たちは今も昔も多い。けれども個人サイトの社会学的意義は、そのコンテンツの価値にではなく、語る人を語ってしまう「自己言及型メディア」であるところにあるのだ。
たえず更新されている活動的な個人サイトを眺めていると、たいていそこにはプロフィールがあり、冗長な日記的記述がある。もちろん主題そのものは別にあり、それはそれで追求されているにしても、こうした「自分を語る」ということが副旋律のようにサイトのもうひとつの主題になっている。対象主題とそれを語る自分についての言説がポリフォニック(多声的)に鳴っている。だれもが知っている企業や組織と異なり、たいていは無名の人による個人サイトでは、たえず「信頼」の問題が突きつけられる。「なぜ自分がこんなことを言うのか」を説明しなければならない。つまり「自己言及のパラドックス」に向き合うことになる。こうして、人気ウェブの作者は、いきおい日記系の記述を増やし、過剰に自己言及し始めるのである。つまり「自己主題化」がついてまわるのである。
ウェブの作者に生じる以上のような自己言及性は、別の言い方をすれば「送り手効果」と呼ぶべきものである。送り手になることが、とりもなおさず「自己をさらす」ことになるため、パブリックな自己を意識的に構築(役割演技)しなければならない。それは「ネット上の自己」を演じるということでもあるが、同時に「反省的モニタリング」(一種の自己監視)を常態化させることでもある。
■自己言及の快感
この自己主題化が肥大化した(自己目的化した)個人サイトが、いわゆる「日記ウェブ」である。これはかなり広範なジャンル世界と言うべきで、ランキングなどの仕掛けを軸に、相互言及のきわめてさかんな、強力なコミュニティを形成している。このように、プロフィールや日記的記述が肥大化した自己主題化ウェブに端的に観察できるのは「自己言及の快感」とも呼ぶべき現象である。自分を表現することの楽しみが、サイト更新の動因となっている。この現象は、オーディエンスの存在(自己を承認する他者)を意識した役割演技ではあるが、たぶんに自己確認であり「望ましい自己」の構築になっている。
この「ネット内自己の創出」は、辺境意識の強い人ほど一種の覚醒に近いものなる。辺境意識の強い人は日常生活において自己イメージが承認されなかったりする(つまり無視されたり差別されたりする)が、ネット上では、そういう自己をそのまま承認してくれる他者と出会うことがきわめて容易である。インターネット上の自分がそのような不本意な現実から見て「偽りの自己」「演出された自己」であっても、しかし、それを承認する他者が出現すれば、それはまぎれもなくリアルな自分になるのである。
同じことは、サイト構築だけでなく、公開されたメーリングリストや掲示板においても生じる。実名か、少なくとも固定ハンドルで発言する場合、自分の発言に対して好意的な反応が再三確認できれば、その人はネット上のその時空が自己提示の重要な拠り所になりうる。と同時に、そこでの発言の数々と言語的交渉がその人の自己イメージを構築し、首尾よく行けば「望ましい自己」を維持しつづける快感を味わうことができる。
■論争の泥沼状態による市民化
これまで、提示された自己に肯定的に応答するネット環境の側面における自己言及性について述べてきたが、当然のことながら、その逆のケースもある。
ネットニュースやメーリングリストや掲示板などにおいてしばしば生じる論争や口論(いわゆるバトルやフレーミング)の泥沼状態のように、ネガティヴなリアクションに対して多くの人がとまどいを覚え、その結果、異質な他者との共生の作法を意識せざるをえず、ひとつの落としどころとして「ネットによる市民化効果」が生じることもある。これには反動形成の場合もあるし、自己反省の場合もあり、挫折の場合もある。
このようなプロセスを体験すると、人は討議におけるコミュニケーション・プロセスそのものに敏感にならざるをえなくなる。あるいは、異質な他者との共生の作法を意識せざるをえなくなる。気の弱い人たちやネットに執着の薄い人たちは、トラブルに懲りてリタイアしてしまったり、参加するネット環境を替えてやり直すことが多いが、もちろん「懲りない人びと」も多い。
まだ参加者の平均年齢が低いせいもあるだろう。たくさんのオーディエンスを意識した「知の格闘技」そのものを楽しんでいるという側面も強いし、そのプロセスで自分の力強さを実感したいという指向性も感じられる。したがって当分「泥沼」地帯はなくなりそうにない。
しかし、個人史的には遅かれ早かれ「論争の泥沼状態」から離脱しようとする動きがでてくる。論争に疲れはて「卒業」を考える。こういう体験をもつ人は多いだろう。
このとき、ひとつの選択肢がある。それは多様な自己を背景化させることで理性的なコミュニケーションを続けることだ。あたかも「広い見識と洗練されたスタイルをもつ人」としてふるまうのが、ひとつの落としどころとして浮かび上がる。これが心理的コストが少なくリスクも小さい演じ方なのだ。これもまた「ネットが市民を育てる」という道筋である。
■ネットにおける大人のなり方
インタラクティブなネットが形成する文化は、一種の相互承認の文化であって、ネットワーカーたちが相互に鏡になってアイデンティティの交渉が行われていた。アイデンティティのメディアであったと言うべきだろう。
しかも、大公開時代にあっては、それはひとつの有力な方向性をもっていた。それが「市民化」である。ネット上で出会うさまざまな人たちのなりゆきを見ていても、市民主義的な行動傾向の人たちがネット上でのびのびと活動しているのを見ていても、ネット文化自体が参加者にある種の市民主義を誘発させていたところがあった。もちろん、そこに個人個人によって相当な落差があった。
デビスとバランによる『マス・コミュニケーションの空間』(松籟社、一九九四年)がマス・コミュニケーションについて適用している枠組み状況の四類型をネットにも適用して、この落差を説明してみよう。基本的には、ネット上の人格の未決状態から、どういう自分をネット上に設定するかに関するスタイルである。いわば「ネットにおける大人のなり方」だ。
(1)社会的学習スタイル(the social learning style)
環境が提供する指示をそのまま受け入れる。環境適応的な受動的段階である。言わば子ども段階。ネット上では、その場その場の定番の話題に乗ったり、ローカルなジャーゴンや文体をまねするといった、単純に「郷に入れば郷に従え」的な同調行動をとる段階である。
(2)鏡像自己スタイル(the looking-glass-self style)
自分を他者の目を通して見る段階。他者の目を鏡にして、その中に自分を見いだす。社会的学習スタイルとちがうのは、ある人びとを他の人びとよりも高く評価して、評価したその相手を準拠人にして、それに合わせる段階である。子どもが親の目で自分を見ることにあたる。ネット上では、管理者やモデレーターや特定の常連に合わせ、その人たちの目を通して自分を見つめ評価する段階である。
(3)一般他者スタイル(the generalized-other style)
複数の準拠人を準拠するとき矛盾が生じる。そこで集団や共同体における規範を理念上の他者として構成して、それにしたがって自分を評価するようになる。ネット上では、フォーラムのローカル・ルールやネットワーク倫理やネチケットに従う段階である。
(4)反省的自己スタイル(the reflective-self style)
外部の人たちを参照することなく、自分で行動の枠組みをつくる段階。ネットワーク上では、自己決定しルールを創出する自律的段階である。ここでは、枠組みや枠組みづくりを反省する知的能力のあることが前提だ。ネット上では、独自のスタイルで発信をつづけている人や、議論の流れやあり方に対して「こうしてみませんか」と提案して、場の雰囲気を変えてしまうような人が、この段階にあたる。
インタラクティブなメディアであるネットが誘発するのは、市民化という方向性をもつ、このような自己言及的なコミュニケーション過程である。そこに参加する個人は何らかの形で自省的であることをしいられる。なぜなら、そこには、相互に反照し合って、自分自身の言動が他者の反応によって絶えず検証され、リアクションとして還ってくるプロセスがあるからだ。つまり、ネットがネットワーカーたちをもみあげて一人前の大人にしてくれたというわけだ。
ここからネット参加者たちのさまざまなストーリーを描くことができる。第一段階にとどまる人もいれば、第四段階まで突き進む人もいる。ともあれ、大公開時代にかいま見えたのは、このような一定の方向性をもつ「大人のなり方」だったのである。
¶三 市民主義文化の源泉
■ネット先住民文化
ネットへの参加が個人に市民主義的転回をもたらすという構図は、必ずしも自明ではない。これには明確に歴史的な先行条件があった。その条件とは「インターネット先住民文化」である。大公開時代にあたかもネットという場がもっていると参加者たちが感じていた文化がそれである。これはインターネットの技術特性から直接でてくるものではない。
もともとインターネットはその開発過程における市民主義によって独特の展開をとげてきた技術であり、それは市民主義的ネット文化と伴走して普及したものだ(古瀬幸広・廣瀬克哉『インターネットが変える世界』岩波書店、一九九六年)。そこに他の情報技術と明確に異なる社会的特性がある。その原理は「オープン」「フリー」といったことばに象徴される独特の信頼システムである。このようなネット先住民文化の本質を「ガバナンス原理」と言う。
■ガバナンス原理
ガバナンス原理は、私がこれまで「市民主義」と呼んできたものの、本質的な行動原理を指している。昨今ではNGOやNPOの行動原理として、従来組織の合意形成の回路のあり方(「ガバメント原理」)とはまったく異質なものとして注目されている。
木村忠正・土屋大洋『ネットワーク時代の合意形成』(NTT出版、一九九八年)の整理によると、NGOに典型的に見られるガバナンス原理(インターネット・コミュニティ・モデル)は次の構成要素からなるという。
(1)ボランタリー・コミットメント、ボトムアップ
(2)非営利性・公益性
(3)開放性・可塑性・連結ネットワーク性
(4)情報透明性・説明義務
(5)ピア・レビュー(仲間内の評価)
この整理を借りて、かんたんに説明しておこう。
ガバナンス原理は、自発的に参加・関与することが大前提になる。その上で、合意を底(ボトム)から積み上げていく。強制参加でもなく、トップダウンで指令がくるというのでもない。そうして構成されたネットワークの活動目的は営利追求ではなく、市民的な公共性をもつものである。メンバーは固定されず、出入り自由であり、境界も確定しない。しかし、各自・各セクションがつながることによって、なんらかの効果を生み出そうとする。つながることがポイントである。その活動においてさまざまな情報が現場に生じるが、それらをたえず公開して情報共有することで、情報が偏在しないようにする。そのためには黙っていてはだめで、情報の現場にいる者がたえず情報を公開するようにしなければならない。つまり説明する義務をもつのである。このようにしておくことで、スピーディな対応が可能になるが、そのさい、仲間内の忌憚ない相互評価がいつもなされていてチェックできるようにしておく。これによって正当性が認められ、事実上の標準として機能できるようになる。
ガバナンスは新しい合意形成の回路のあり方として注目されているが、しかし、タウンミーティングの伝統の復刻版というところがあり、むしろ一八世紀的な古典的直接民主主義の復活と見ていいように思う。たとえばインターネット・コミュニティのありようを佐藤俊樹氏は「原(プロト)近代の再生」と位置づけている(佐藤俊樹『ノイマンの夢・近代の欲望』講談社、一九九六年)。その意味では「レトロ民主主義」とも言える。
■インターネットの歴史とネット先住民文化
このようなレトロ民主主義の復刻版は、ネットの歴史の中で何度も呼び起こされてきたものである。インターネットの成立史については、Katie Hafner and Matthew Lyon『インターネットの起源』(加地永津子・道田豪訳、アスキー、二〇〇〇年)と、スティーブン・シガーラー『ザ・ファースト ネット センチュリー(全二冊)』(山本啓一訳、HAL&ARK、二〇〇一年)が詳しいが、それらによると、一九六〇年代にはアメリカンスタイルの合理主義に裏打ちされた反官僚主義的決定をする科学者たちがペンタゴン内部とその周辺にいて、一九七〇年前後のカウンターカルチャーのただ中にいた西海岸の若いハッカーたちを引き入れ、かれらが草の根的な直接民主主義を集合的にとることで、技術的な開発過程が進められていったことが強く影響している。一九八〇年代においてインターネットのプロトコルTCP/IPが、トップダウンで出てきたプロトコルOSIに対抗して普及する過程にも、BSD UNIXがTCP/IPを組み込んでしまうなど、単なる競争心だけでなく、リベラルでオープンでフリーであろうとする文化が大きな役割を果たしている。
また、USENETやWELLのような非開発系ユーザーによるネット文化も、対等な個人による自由なコミュニケーションの広場をつくりだし、そこから「サイバースペース」や「ヴァーチャル・コミュニティ」ということばも生まれている(古瀬幸広・廣瀬克哉、前掲書。ハワード・ラインゴールド『ヴァーチャル・コミュニティ』会津泉訳、三田出版会、一九九五年)。
■RFCとW3C
じっさい、インターネット関連の技術開発の多くがこのガバナンス原理によって構築されてきた。それはたしかに「先住民文化」ではあるが、リナックスの興隆に見られるように、現在に至るその後のネット文化の機動力とエートスにもなっている。その意味では、すべてとはもはや言えないにしても、ネット文化の最先端部では現在でもガバナンス原理が生きている。
その代表的な存在が、RFCという意思決定方式であり、組織で言えばW3Cだ。インターネットの技術的仕様は基本的にRFCという文書で公開され、徹底的に議論される。開発場面の当初から「コメントください」(Request For Comments)というタイトルで叩き台が提案され、ネット上で公開討論に付した後に仕様書として確定してしてゆくという意思決定方式は、徹底した草の根民主主義である。
この方式は、インターネット草創期のARPAネットが開始された一九六九年からずっと続いている。ハッカー倫理がよくあらわれた作法だ。一九九四年に創設された、ウェッブの仕様を決定する組織W3C(World Wide Web Consortium)もこのやり方をとっている。
■オープンソースとハッカー倫理
その意味で「先住民文化」は今なお現役である。とくにリナックスの成功は、ガバナンス原理によるハッカー倫理(ハッカー精神)の成果というほかない(ペッカ・ヒネマン他『リナックスの革命』安原和見・山形浩生訳、河出書房新社、二〇〇一年)。
その先行モデルとなったのはGNUとBSDである。GNUはユニックスのソースコードの非公開化(商業化)に反対してフリーソフトを作成し公開するプロジェクトであり、BSDも商業化に対抗してフリーのユニックスの開発拠点になったプロジェクトである。
エリック・スティーブン・レイモンドの『伽藍とバザール』(山形浩生訳、光芒社、一九九九年)が指摘するように、リナックスはこれらの伝統を参照しつつ、バザール的に完成度を高めてきた。リーナス・トーバルズ自身の語りによる『それがぼくには楽しかったから』(風見潤訳、小学館プロダクション、二〇〇一年)によると、これらの動きを一元的にとらえることはいささか乱暴であるようだが、開発者たちの「フリー」かつ「オープン」なマインドを重視する独特の文化があったのはたしかである。それがハッカー倫理であり、オープンソースの運動なのである。そのガバナンス原理が、ネット全体の市民主義の歴史的前提にあり、かつまた理念的モデルとして裏支えをしてきたのである。
■自我とネットと市民主義
こうした文化的前提があったからこそ、ネットは、たんに技術的に構築された情報空間ではなく、独特の市民主義文化を理念的モデルとする文化的空間として、私たちの前に立ち現れたのである。大公開時代はその当然の帰結であったし、多くの人たちがネット上でのつきあいの中で「市民主義的転回」とも言うべき自我形成(「大人のなり方」)を自己言及の快感とともに体験できたのも、一連の歴史的前提をもつこの社会的特性のなせるわざであった。そして、このような文化的体験を経て成熟した人たちが、ネットを苗床にして、日本社会に新しい市民文化をつくり始めたということである。この創造的局面こそ、ネットの新しさであり、「ネットらしさ」として語られることになったものなのである。
しかし、これまで述べてきたストーリーをもつネットの市民主義的文化は、日本の場合、インターネット大公開時代が始まって、ほんの数年で「離れ小島」のようになってしまう。ネットの普及がもう少しスローペースで、集団的学習過程がじっくりおこなわれつつ量的拡大が生じれば良かったのだが、じっさいには初期採用者の数と比べものにならない大量の人たちが一気にネットに参入することによって、ネットの市民主義的文化はなし崩し的に孤島化するのである。そして、ネットの特性のひとつひとつが裏目に出る時代になる。量は質に転化する。ネットに参加する人たちの量がネット文化の質を変えてゆく。そしてメビウスの輪のように、表をたどっているうちにいつの間にか裏をたどって、ネット文化は別の顔をもつようになる。