とくに研究というものではないですが、授業のために勉強することが多い昨今。

1つの理由は情報メディア系の講義を担当していること。なにせ、ここは日進月歩ですから。かつては「iPhoneとは何か」とか「ブログとは何か」というのをやったこともありますが、今は昔の話でしょう。この分野、次々に新しいテーマが湧き出してきます。もちろん専門家はとっくに承知のことでも、それが一般人にまで影響する事態になったときに議論が沸き立つからです。経済学部で教えているので、なるべくそういうテーマを進んで取り上げて基本的な考え方を提示するようにしています。そうすると、次から次に勉強すべきことが出てくるのです。私の読書はほぼその関連書です。

それはもう1つの理由も同じです。それは演習系の授業用です。今はほとんど教育研究のようになっています。教育であれば十年一日で同じことを教えていてもいいのですが、教育研究にすると前に進まなければなりません。勉強と研究の違いは、このあたりにあるんです。勉強は既定の知識を受容することです。それに対して研究は未踏の領域に踏み出さないといけません。

ここのところ思うところあって演習系の授業を教育研究の場として一種のアクションリサーチのようなことをしています。そうすると未踏の領域に挑戦する局面が生じます。教育の場合、大きな失敗はできないし、先導役の私が先んじて勉強しておかないと指導もできません。すでにある知識だけれども、それを別の領域と組み合わせると、とたんに前に人がいなくなります。私は何度もそういう状況に直面してきたので、その切り抜け方はそれなりにわかります。あとは、それを抜かりなく徹底的に貫徹するだけです。そのとき勉強は非専門家の武器になります。既知の知識群と未知の知識群を組み合わせるとき、ほとんどのエフォートは未知の知識群に当てられるべきでしょう。多くの専門家はそれをしない。ほんとうに初歩的な勉強もしない。だから、知識のあちこちに空隙が生じるのです。それをニッチと呼んでも、複合領域と呼んでも、たいした違いはないのです。

というわけで、Studiumというコーナーを作って、自分にとっての「勉強箱」にしようと思います。私はなるべく書籍化された知識を軸に据えて勉強します。その方が系統的なので、ムダうちがなく、結果的に手っ取り早いのです。こうした知識は授業にアウトプットされるので外からは見えません。ソキウスを始めた頃は、それを可視化できないかと目論んでいましたが、なかなか果たせず、最近はブログとSNSで開陳する程度でありました。それで十分ではありますが、もう少し可視化を進めていきたいと思います。

2018年3月5日

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